Million Dollar Round Tableの最初の会議は1927年にテネシー州メンフィスのピーポディ・ホテルで開催されたNational Associate of Life Underwriters(全米外務員協会)の年次総会の期間に開催されました。Paul Clarkが集まった32名に向けて呼びかけました。参加者はそれぞれ修正Sで100万ドル以上の成績があった方々でした。
1928年には初の女性会員 Eleanor Young Skillen が加わりました。
1930年にはカナダのトロントからはR.E. CampbellそしてバンクーバーからBrenton S. Brownが会員に登録しました。そして、海外からはオーストラリアのシドニーとイギリス、ロンドンで活躍するFrank Noble Lowndesが加わり、2人目の女性会員Sara Frances Jonesも加わりました。さらに、日本からは1931年にフジイ・イエモン、キノシタ・シゲオ、ナカソネ・イクタロウ、そしてオバ・ヤスユキの4名が会員になりました。
1936年には初めてのMDRTスタディ・グループが誕生し、メンバーはJohn O. Todd, CLU (1951年会長), H. Kennedy Nickell, CLU (1941年会長), Robert P. Burroughs (1942年会長), Ron Stever, CLU (1943年会長), Alfred J. Ostheimer (1944年会長), Stanley E. MartinそしてNathaniel H. Seefurthでした。
1946年からはNALUの年次総会とは別にアニュアル・ミーティングを開催することになりました。
1949年には初めての社員としてHarriet Preinetzが採用されました。同年、MDRTは初めてのオフィスをシカゴ市内N. LaSalle Street に開設しました。
1956年会長のArthur F. Priebe, CLUは会長就任の記念品の代わりに、その資金を支援を必要としているチャリティに寄付して欲しいと所属している会社に依頼し、それがきっかけとなり1959年にMDRT Foundationが誕生しました。
1957年には法人として大きな一歩を歩みだしました。まず 501(c)(3) の認定を受けることにより免税対象となり、その年に初めて事務局の責任者を雇用しました。
また1962年のアニュアル・ミーティングでは故Mortimer J. Adler博士が仕事だけではなく、人生のすべての要素を大事にするというコンセプトをMDRTに紹介しました。つまり、専門家としての仕事は人生の一部に過ぎず、他の分野も大事にする必要があるという考え方です。この大会でMDRTはホール・パーソン・コンセプトと出会い、家族、健康、教育、キャリア、サービス、財務、精神のバランスを維持することで人としての可能性を発揮できるという考えを学び、MDRTの大事な礎となりました。
1974年に役員会はMDRTのトップ・パフォーマーのための新たな会員レベルの必要性を認めました。その結果1977年にトップ・オブ・ザ・テーブルという名称で、初のTOT会議をアリゾナ州フェニックスで開催しました。
1974年にMDRT米国本部はイリノイ州Des Plainesに移転しました。
1980年代に入るとMDRTはその中間レベルの資格の必要性を認めました。そうして1985年にコート・オブ・ザ・テーブルが誕生しました。
1990年に、MDRTはビルを購入し、現在のイリノイ州パークリッジ325 West Touhy Avenueに移転しました。